ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『仏教思想のゼロポイント』

仏教思想のゼロポイント』(魚川祐司 新潮社 2015年)再読。

う〜む。むずかしい。少しずつ分かりやすいところからメモしていこうと思う。

 

まず「輪廻」ということについて。

「輪廻」というと私たちは一般的に、ある「人」が死んで、それが別の存在として生まれ変わるという「転生」の問題ばかりを考えてしまいがちだが、実のところ輪廻というのは、そうした転生の瞬間だけに起きるものではなくて、いま・この瞬間のあなたにも(仏教の立場からすれば)、現象の継起のプロセスとして、生起し続けているものである。転生というのは、そのことのわかりやすい現れに過ぎない。(p97)

 

輪廻というのは、いつかどこかで「自分」が死ぬときに起こる神秘現象ではなくて、いま・この瞬間に生じ続けている「現実」だ。だから、それを乗り越えるためには、私たちは何よりもいま・ここに起こっている現象を、目を背けずに「如実知見」しなければならない。

ゴータマ・ブッダ仏教の本筋は、このように物事を「ありのままに知る」ことによって、苦なる現象の継起(=輪廻)から離脱するということにあるのであって、そのことと、単なる転生ではない、現象の継起としての輪廻の理解とは、もちろん密接に関わっている。このことは仏教を理解する上でたいへん重要なポイントなので、しっかりと確認しておかねばならない。(p98〜99)

 

生物の本を読むと、人間はおよそ60兆の細胞で成り立っているらしい。(最近は、37兆とも言われているようだ。)その細胞は、様々な周期で生死を繰り返しているという。従って、身体的に言えば、昨日の私と今日の私とは、全く同一とは言えないのだ。そういう面から考えると日々輪廻、瞬間瞬間が輪廻ともいえる。身体が輪廻するのに「私」は同じなのか?という問題が生じるがそれはまた別に多くの課題を含んでいる。

 

 著者の魚川祐司さんは、ツイッター上では「ニー仏」さんとして知られている。そのツイートのひとつがこれなのだが、ウ・ジョーティカ師の言葉はいろいろ考えさせられる。

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仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

 

 

 

先輩からの手紙(1/2)(追記・修正2015.11.9)(手紙削除 2018/7/15)

 私が20代前半(1970年代後半)に出会い、その後の私自身の考え方に大きく影響を与えた人物がいます。仮に「A先輩」としておきます。その方とは、毎年年賀状のやり取りをしていましたが、ある年の年賀状をきっかけに、私が短い質問の手紙を送りました。それに対して、A先輩から便せん約40枚の長文の手紙をいただきました。1998年のことです。

(A先輩は、その年、肺結核のため逝去されました。)

手紙は、個人的なものではありますが、内容としては多くの人に知っていただきたい部分があると思い、「先輩からの手紙」として、公開いたします。その要旨内容は以下のとおりです。
(2回に分けて投稿します。個人的な部分については省略しています。)

追記・修正2014.4.29)

以下の手紙部分を削除する。

(2013年に公開し、すでにその役割は終了したと判断しましたので削除させていただきます。読んでいただいた方々及び関係者の皆様に感謝申し上げます。2018/7/15)

 

    

 

※ 小野不一さんのブログ「斧節」で、この「先輩からの手紙」を取り上げていただきました。感謝いたします。手紙の内容を深く的確に捉えていただき、非常に参考になります。

 追記:なおブログ「斧節」~「先輩からの手紙に思うこと(1)~」で引用された、私のもう一つのブログ「ぷるぷるメモ」~『先輩からの手紙(1)~(12)』は、事情により、はてなダイアリー「えぞしろくまのつぶやき」~『先輩からの手紙(1)(12)』へ移行いたしました。どうぞよろしく。(2015.11.9)

(こちらの『先輩からの手紙(1)〜(12)についても同様に削除いたしました。2018/7/15))