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ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

先輩からの手紙(2/2)

先輩からの手紙

先輩からの手紙(1/2)に書いてあった『別紙コピー』です。
知人にあてた手紙のコピーです。個人名は記載されていません。
一部省略しているところがあります。

 

(別紙コピー)

前略。

 

 早いもので、先日お邪魔してから、もう半月が経ってしまいました。

 

直ちに送ろうと思って、ワープロで打ってもらったものを点検しておりましたら、間違いや抜け落ちた部分など、とても一読意味が通じるという状態ではありませんでしたので、「第三文明」掲載分のコピーと照らし合わせて訂正作業をしておりました。意外に時間をとってしまい二部共にやろうと思いましたが、手抜きをさせていただきます。(御夫婦でジャンケンでもして、お一人は自分で修正して下さい)それにしても、先日は、本当にお世話になり、有難うございました。そしてまた、やっと本音で様々な問題点を話し合うことができたことを喜んでおります。それだけ状況が急速に変化したということでしょう。

訂正作業をしていて、この約十年のことを種々想い返しておりました。

八十九年一月号で終わりましたが、一月号の発刊はその前月の一二月。原稿締め切りは十一月初め。従って想い返すのは、八十九年からのことになります。

八十九年一月は、昭和天皇の死がありました。

そして、二月に大葬の儀。この時、聖教新聞の一面に全面を使って載った名誉会長名での「追悼の辞」。そして葬儀の時の公明党議員の神道儀式への参加。(社会党等はその間会場の外にいました。)

私は、この新聞の内容と、神道儀式への参加を見て、(ああ、学会は本当に変質したのだ)と痛感しました。「牧口会長を獄死させ、戸田二代会長を入獄させ、日本を敗戦に導いたものは、天皇を現人神と敬った神道であった」と言って出発した戦後の創価学会の歩みは、一体何であったのか。「立正安国」を掲げ邪義邪宗こそが不幸の原因であるとして、大折伏戦をしたことは、一体どんな意味があったのか。そのことへの説明、言及は一言もなく、七〇年の「言論出版問題」の総括や反省もないままに、世論に押されて路線変更を強いられたその泥縄的体質が、遂にここまで来たのかとの強い印象を受けました。

 

「歴史」を無視するものは、「歴史」によって、シッペ返しを受けるというのが鉄則だと思います。第二次大戦敗戦後の日本が、その歴史的行為の反省もないままに、経済復興だけを図り、敗戦後半世紀を経た今日でもなお、その過去の行為の清算をしない上に、更にその醜悪な過去を隠蔽しょうと様々な馬鹿な画策をする。そしてそれが世界の人々の顰蹙を買い、多くの国民が恥ずかしい思いをし、結果として国民道義が頽廃したまま、更にそれが進行してしまう。「ごめんなさい。本当に迷惑をかけてしまった。ここの所を間違ってしまったから、以後絶対そうならないようにきちっと対策をこのようにとりました。」ということでないと、また同じ誤りを繰り返してしまいます。

 

今日の日本の様々の問題の噴出と多くの国民の閉塞感は、この戦争への無反省と、戦後の出発に当たって、短絡的な過去の否定によって、過去の日本人の美徳(礼儀正しさとか、恥ずかしいという感覚、隣近所、他人様に迷惑をかけないようにするという心掛けや、繊細な美意識に基づく潔さ、強い独立心等々)をあっさり捨て去り、公共心をほとんど失ったところに、可成大きな原因を求めることができると思います。

 

その意味では、日本全体が、未だに戦争の後遺症を抱え込んでいる状態だと思いますし、新たな国民道義、市民の社会意識の確立までには、まだまだ、二、三世代以上の歳月がかかると思います。戦争によって失われるものは。単に国民の生命や財産だけでなく、精神的なプライドや道義心といったものまでが破壊され、失われてしまい、その国民的トラウマ(精神的外傷)から立ち直るまでには、二世代、三世代とかかってしまうものであるということを、決して忘れてはならないと思うのです。

 

学会も、この日本的健忘症、日本的ご都合主義の埒外にはないということなのでしょう。そしてまた、その学会のリーダー達は、大正から昭和の戦前世代です。激動の時代の中で、価値観がコロコロ変わるという経験を強いられた世代の人達なのです。信念とか、哲学、深い思想性を本当の意味で身に着ける経験を持ち得なかった人々なのです。これは、今の日本の各界の指導者たちにも共通するもので、無理もないと言えば無理もないのです。しかし、やはりその様な覚悟の定まらない、深い思想性もないリーダーによって、運動なり、政治なりが指導されていくというのは、実に不幸なことですし、悲しい、そして迷惑なことでしかありません。

 

平成になってからは、バブルの崩壊、政界の再編成、野党連合政権誕生、55年体制の崩壊、自、社、さ政権へと目まぐるしく動き、その間にさんざん反対してきた小選挙区制導入への加担、新進党への参加。そして次から次へと続く贈収賄汚職。政も官も財も、そして薬害エイズに見られるように学も、従来権威と見なされ、それなりの尊敬を受けてきた立場の人々が、情報公開の波に洗われて、その醜悪な実像を徐々に現わしてきた十年であったと言えましょう。

 

学会もまた、多分、先程もふれた昭和41年の言論出版問題で始まった、迷走、混迷、目標喪失が、89年の現実妥協路線表明で更に加速し、とうとう、組織の生き残り、既得権益の温存を計る事態にまで凋落してきた十年であったと言えるかもしれません。

 

その間、ゴミの山から見つかった謎の三億円金庫事件、ルノアールの絵をめぐっての不透明な三十数億円にのぼる三菱商事や画廊との取り引き、証券会社との利益保証事件での登場、オウム真理教事件で法改正がなされた、宗教法人法をめぐっての佼成会などとの共同歩調。等々。ほとんど既成宗教のゴタゴタとなんら変わることのない内部矛盾のボロが、次々に露呈してきた歳月でもありました。その他、実態のよくわからない本山との対立、名誉会長をめぐる様々な裁判事件・・・。ヤレヤレ・・・というところです。

大聖人が現在、御生存であったら、この事態をどう評価されるでしょうか。

 

このような大人たちの混迷ぶりに軌を合わせるようにして、オウム事件、幼女連続殺人の宮崎勤、小中高生のいじめ自殺事件の多発、少年達のおやじ襲撃事件や通り魔事件の続発。そして、神戸の小学生連続殺人事件と、次々に若者や子供たちが社会の精神の荒廃を証明するような事件・事故を引き起こし、または、その被害者になる事態が続いています。

 

一体、私達は、何の為に、身を粉にして活動をしてきたのかと、思わずにはいられません。

「道理・証文よりも現証を先とすべし」と御書で御教示の如く、まず否応なく目前に提示された現証に基づいて、私達は道を間違ったと率直に認める必要があると思います。

 

今回、久し振りに約十年前の自身の原稿を読んでいて「何故まともな反応がないのか」と当時嫌気がさしてきた気分を思い出していました。若い読者の一部から、熱烈な感想が寄せられたり、当時男子部の教学室員のメンバーで、今は教学部の中心メンバーの数人から「やっと戒というものが解った」という感想があったことを聞かされたりはしていましたが「信仰論」ともいうべき部分には全くナシのつぶてであったことを思い出しました。そして現在になって、それが無理からぬことと思い至る心持ちです。

 

先日も少々お話しましたように、大部分の人達は、別に大聖人様でも、御本尊でも、御書でも、もっと言えば、弘教なんてどうでも良いのでしょう。要するに「宗教は儲かる」、「大教団は大変なメリットがある」ということであって、また一般の会員も、もう互助会みたいなもので、「何もないよりは気休めになる」「ヒョッとして何か御利益があるかもしれない」「さぼっていて何かあったら困るから」等々の程度のもので、もう本当に日本的信仰になりきってしまっていると思います。

日本人の宗教的態度は、そもそも神代の時代から、聖徳太子によって仏教を導入した後も「現世利益」が最大のテーマであって、原理原則などどうでも良いところがあるのです。

 

大聖人の時代には、その原理に対する不誠実さが厳しく弾劾されますが、室町、安土、江戸と社会の経済的な豊かさが実現されてくるにつれ、そのような厳しさが薄れ、信長の既成仏教大弾圧(比叡山焼き討ち、石山本願寺攻撃)に続く、秀吉、家康の日蓮宗弾圧やキリスト教禁圧などによって、徹底的に宗教的生命(信仰の純粋さ、真剣さ)が失われ、気休めと軽い現世利益と、葬式仏教へという長い惰性に陥ってきたのです。数世紀に亘って民族の習慣・習俗として根深く定着してしまった信仰態度は、第二次大戦の敗戦後のような貧・病・争の盛んな時期には一時的に燃えあがることはあっても、社会が安定し、経済的にも恵まれてくると、たちまち、元の木阿弥に戻ってしまうというのが現状のように思われます。

 

創価学会も、戦後の大衆運動としても盛り上がりから、同一のものとは思えない形骸化状態となってしまった本当の理由も、案外こんな日本的宗教態度の為せるわざかもしれません。

このように考えてきますとこれからは宗教的熱狂の再現はしばらく(ほとんど?)あり得ないのではないでしょうか。むしろ浅薄なムード的熱狂が去った今日、本当にその思想的・哲学的な意味と内容が問われてくるのだと思います。

 

そして、その厳しい問いかけの中で、真に人類の福利に貢献出来る存在へと脱皮していけるか、それとも既成の諸宗派のように、社会に寄生する存在として、既得権益を守り続け乍らなんとか生きのびるのか、それとも、内紛と分裂を繰り返しながら、夫々にオカルト的小集団へと雲散霧消していってしまうのか、これから十年位の内にその方向はかなりはっきりしてくると思っています。

 

そしてその動向選択の底流をなすものは、結局日本の国民全体が、ボーダレス化する国際社会の中で、どのようなアイデンティティを選択していくのかということだろうと思います。

現在の日本の社会は、一部の指導的立場の人間が旗振りをして、国民の行くべき方向を指し示せる状況にはありません。まだまだ自覚と自信が確立した状況とは言えないまでも、既に名もない一般の人々が、自分自身と指導層との距離のなさを実感し始め、中には、指導層などというものは幻想でしかないと思い始めている人々が生まれてきているように思います。

 

その動きは、全国各地で自立的に、町作り、地域おこしをしている人々の中に見出せるものと思います。彼らの動きは、戦前から戦後にかけての労働運動のような異議申し立ての運動ではなく(不平等とパイの配分をめぐる争い)また60年から70年にかけての学生運動にみられる権威打ち壊し運動でも、またその生き残りのメンバーの環境運動を看板にした別天地創造運動でもなく、もっと等身大で、生活に根を下ろした快適空間創造運動とでも名づけたい、非常にセンス溢れる柔らかい発想の運動を起こす人々があちらこちらに生まれてきているのです。しかも彼等の良いところは、

自分自身が面白がってやっていく、変な使命感や悲愴感など全くないということ。

大変に現実的で、合理的思考をもっていて、臨機応変、自在な知恵で、大資本や行政権力など当てにしないという点。

高い教養や知識をもっていて、外国や異文化との交流経験も豊富で、幅広い人脈を持っている点等々が挙げられると思います。

 

豊かな社会がもたらした新しいタイプの人間群であろうと思います。

    

その様な人々が、今は個々バラバラのように見えますが、現在のような情報化の時代ですから、あっという間にネットワークを結んで、かなり近い将来、大きなウネリを起こすのではないかと私は予測もし、それ以上に期待しています。

そしてまた、宗教、思想、哲学の分野でもこの二、三十年の間に、明らかにボーダレス化しあらゆる領域が「生命」及び「生命現象(死も含めて)」をターゲットとして「人間」とは何かに迫りつつあります。

 

恐らく、これも割合に近い将来、先日も話しました「センサー付きの対応の智慧ないしエネルギー」というような生命自身の持つ(能)力をキーワードにして、人間の頭の持つバーチャル性というやっかいな能力にどう歯止めをかけ、どうコントロールしていくべきかというようなことが、各学問各領域を統合するような形で方法論として確立されてくるのではないかと予測し、これもまた多いに期待しているとこです。

 

その時に仏教=人間学という評価が定まりセルフコントロール法として「一念三千論」が、人間の知的、人格的成熟論の角度を含み乍ら社会に定着していくのではないかと思います。それが本当に人類の知的共有財産として、各国の教育の基礎として定着した時、それを広宣流布というのだと私は考えています。

 

権力奪取とか、勢力拡大などというのは、考えてみれば幼稚な発想で、境涯論でいえば、「生死の世界を現実世界であると執着している凡夫」の世界、即ち六道輪廻の世界であって、なかんずく対立や勢力争いをしていたのでは修羅畜生の境涯でしかあり得ません。

 

総合学としての「人間学」が打ち立てられれば、宗教宗派の必要性は消滅します。

そうならければ、ますます狭くなり、ボーダレス化していく地球で、人類は生き残れないと思います。

 

いずれにせよ、私達自身、もう一度発想を新たにして、スローガンを叫んでいれば事足れりとするような惰性を排して、中身の伴った、豊かで心楽しい人生と社会を実現していくように、真剣に、かつ具体的に努力を始めようではありませんか。

 

随分と長くなりましたが、久し振りに自分の書いたものを読んで、それに触発され乍ら、現在の心境を書き連ねてみました。

 

1997(H9) / 8 / 23』