読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『法然 親鸞 一遍』〜法然について

本の抜き書き

梅原猛仏教の授業  法然 親鸞  一遍』(梅原猛  PHP 2012年)から、「法然」に関して、興味深い部分を拾ってみました。

     五十年間、私は日本の思想を研究し、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉によって表現される天台本覚思想こそ日本の思想をはっきり特徴づける思想であることを発見した。その思想は、浄土・禅・法華の鎌倉仏教の前提になった。(p10) 

 

    これら鎌倉新仏教に共通する思想に「草木国土悉皆成仏」という思想があります。これは、ごく簡単に言えば、「草や木も、国や土もすべてが成仏できる」という思想ですが、この思想の母体となったのは、天台宗の説いた「法華一乗」の思想でした。法華一乗とは、これまではそれぞれの人の能力に合わせて、さまざまな形で説かれた仏の教えが、『法華経(妙法蓮華経)』では一つに融合されている。したがって、すべての生きとし生けるものは法華経の教えによって仏になることができる、というものです。(p30) 

 

    死の教師である法然上人は、同時に偉大な革命家だと言えます。

    なぜなら彼の登場を境に、日本の仏教はその姿をすっかり変えてしまったからです。浄土宗登場以前の日本の仏教は、奈良仏教はもちろん天台宗真言宗も、すべて律令社会を肯定・安泰にするための宗教でした。仏教を本当の意味で「民衆の仏教」にしたのは法然上人なのです。(p34)

  このあと、法然がそれまでの「観想念仏」ではなく「口称念仏」を説いたことが書かれています。

  法然は、

    阿弥陀仏はすべての人が極楽浄土に往生する教えを説いたはずだ。とすれば、念仏は少数の人しかできない観想の念仏ではなく、誰でもできる口で「ナムアミダブツ」と称える易行の口称念仏でなければならない。

    そう考え、口で「ナムアミダブツ」と称えるだけで往生できるという口称念仏こそが阿弥陀如来の本願に相違ないと確信することになったのです。(p76)

   「口称念仏」という易行のみで往生できるというのは、大変庶民的であり、革命的な発想です。

 

更に梅原氏は、「法然の思想は二種廻向を以て完成する」(p87) と言います。

    その思想は法然上人の書には、はっきりと記されていません。

    でも、その思想は師の法然上人から親鸞上人へと受け継がれました。それは何かというと、「二種廻向(にしゅえこう)」という思想です。(中略)

    二種廻向というのは、その名の通り二種類の「廻向」からなる思想です。一つは「往相廻向(おうそうえこう)」。これは阿弥陀如来の本願によって、人は必ず極楽浄土に往生できることです。そしてもう一つは、極楽往生した念仏の徒は、同じく阿弥陀如来の本願によってしばらく極楽に留まった後、再びこの世に還ってくることができるという「還相廻向(げんそうえこう)」という思想です。(中略)

    念仏の信者は、阿弥陀如来の本願によって極楽往生します。でも、この世には苦しんでいる人がたくさんいます。だから極楽に往生した念仏の信者は、その苦しむ人たちを救うために、再びこの世に還らねばならないのです。(p87〜89)

 この「二種廻向」、特に「還相廻向」については、今まで聞いたことがありませんでした。どちらかというと、念仏を唱えて極楽浄土に往生するという「往相廻向」のみが頭に残っていて、その後のことは思いもつかないことでした。この二種の廻向がセットになってはじめて法然の思想が完成するとは・・・・。今までの法然に対するイメージが相当変わってきます。

 

 

 

梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍 (PHP文庫)