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ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

久しぶりに福島事故を思い出した。

身の周りの出来事

    11月22日早朝の福島県沖を震源とする震度5の地震津波と、福島第二原発の冷却水ポンプ一時停止の報道を聞いて、改めて福島原発事故の現実を再認識させられた。

 

ある本を読んでいてこのような文章に出会った。↓

    国民の多くがこの深刻さを見ようとしない。原発プラントの事故処理は純技術的に未曾有の難行であるわけですが、不手際が相次いで明らかになっています。あらゆる英知を動員して事故処理を進め、すでに出てしまった被害に対してはそれを 最小限化するためにあらゆる努力を払うことが、これまで原発を推進してきた国とその主権者である国民の義務である、と私は思います。(『日本戦後史論』(p3))

     たしかに、この深刻さは、私の中では、時間が経つと次第に小さくなっていた。事故処理は、未曾有の難行であろうが、それも忘れてしまいそうになっていた。テレビに写る福島第一、第二原発の様子を見て改めて事故処理の大変さに気づかされた。

 

あるツイートには、

 

東電に対する厳しい指摘があった。技術的なことはわからないが、一歩誤れば極めて危険な状態になったのかもしれない。取り敢えず、無事に済んでよかった。

    福島原発事故処理のために、約11、000人もの人々が現地で働いていたことも初めて知った。

 

    最初の引用文の中に、「これまで原発を推進してきた国とその主権者である国民の義務」とあったが、国と原発関連の企業には、責任があると思うが、「主権者である国民の義務」はどうであろうか?ある意味、国民は騙されていたのではないだろうか?原発事故の賠償金や廃炉費用に、間接的に税金を使うことや東電電力料金への上乗せ等によっていつのまにか国民が一部負担する仕組みが出来上がっている。何ということか。

    個人的には、原発は安全だという宣伝に安心して、特に疑問を持つことはなかった。「東京に原発を」とか「泊原発反対」という言葉を目にすることはあったが、さほど身近な危険とはとらえていなかった。それがあの福島原発の事故で目が覚めたけれど、時間が経つといつのまにか忘れてしまっていた。我ながらドウショウモナイナア。

 

 

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