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ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『日本の200年』(1)

本の抜き書き

    図書館から『日本の200年』(アンドルー・ゴードン みすず書房 2006年)という上下巻のやや分厚い本を借りてきた。江戸時代末期から現代に至るまでの日本を紹介している。原書は英語圏の読者を対象として書かれたもの。江戸時代から現代日本までを捉える、というのが気に入ったので借りてきた。なかなかおもしろい。本文の量が多いので、読みながら文字どおり「メモ」風に書いていこうと思う。

 

    女性は家庭に入って家族の面倒を見るのが日本の伝統のように思われていたが、現実はそうでもなかった、ということが書いてあった。

 

    上層の武士以外の男たちも、日常生活では、性別役割の峻別と社会的ヒエラルキーを重視するイデオロギーが許容するはずの範囲を超えて、もっと柔軟に行動した。徳川期と明治初期の資料は、男たちが子育てや家事で積極的な役割を担っていたことを示している。1610年に豊かな商人が息子あてに記した指示は、使用人のための食事を用意する、薪を買い入れ蓄える、ゴミを選別するなどの作業をみずからこなすようにと命じ、「男がこのような雑事をみずから引き受けないならば、世帯を満足に切り回せるはずがない」と断じている。家庭は仕事の場であると同時に住まいであり、家事労働は女性の活動領域として厳格に仕切られていたわけではなかった。

    1878年イザベラ・バードというアメリカ人の旅行者は、農村で早朝目にした、「低い塀に腰掛けた12人から14人ほどの男たちが、それぞれ腕に抱いた2歳に満たない子供をなでたりあやしたり、体つきや知恵のつき具合を見せびらかしている」光景について記している。(上、p62)

 

     江戸時代の人口は、約3000万人といわれている。その内、武士が7%ほど。80%が農民で、その他が商工の町人などだったらしい。今でもそうだが、農業は一家総出の作業が多い。町人も自宅が店であれば奥が自宅というのがほとんどだったろう。今の多くの労働者(サラリーマン)とは、状況はやや異なるが・・・。

 

    因みに、江戸時代の人口は、約3000万人ということで長らく停滞していた。

(参考:図録▽人口の超長期推移(縄文時代から2100年まで)」。明治時代から急激に増加に転じている。)

   この原因として、「飢饉」と「間引き・嬰児殺し」があげられている。飢饉や疫病で多くの人が亡くなったのは想像がつくが、間引き・嬰児殺しというのはよく分からない。

    飢饉以外に、もう一点どう考えるべきか理解に苦しむのは、間引き・嬰児殺しの慣行である。その理由については今日もなお論争中だが、男児・女児を問わず、望まないのに生まれた乳幼児を農家が捨てたり殺したりするのは、どうやら珍しいことではなかったらしい。当時の道学者たちも、また1970年代までのほとんどの歴史家たちも、間引きとは、絶望的な状況に追いこまれた貧しい農民たちがとった最後の手段と見なしていた。しかし、寺院に残っている宗門人別改帳などの人ロ統計データを注意ぶかく分析してみると、これとはちがう解釈の可能性が浮かびあがってくる。すべての村ではないにしろ少なくとも一部の村では、間引きがおこなわれる傾向としては富農層のほうがより強かった、という形跡が見て取れるのである。間引きは、極貧層の農民が飢えを逃れるためにおこなっただけでなく、子供が多くなれば、安定した生活を支えられるはずの先祖伝来の田畑を、一家が食べてゆけないほどの小さい規模に細分化しなければならなくなることから、そうした事態を回避するために豊かな農民たちもおこなった、一種の家族計画だったといえるのかもしれない。(上、p54)

 参考:「子返しとは何だったのか」(共同体社会と人類婚姻史)

 

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日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで

日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで

 

 

 

日本の200年〈下〉―徳川時代から現代まで

日本の200年〈下〉―徳川時代から現代まで