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ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『日本の200年』(2)(完)

本の抜き書き

『日本の200年』(アンドルー・ゴードン  森谷文昭訳 みすず書房 2006年刊)上下巻をようやく読み終えたが、上巻の方がおもしろかった。以下、いくつか興味深い文章があったので引用させていただく。

    徴兵制度の評判はよくなかった。1873年の徴兵令は、一家の主人、犯罪人、身体的な不適格者、指定を受けた多くの学校の学生と教師、官公庁の勤務者などについて、いくつかの兵役義務の免除を認めていた。また、一般の労働者の年収を上まわる270円という多額の代人料を納めた者も、兵役義務を免除された。多くの兵役対象者が兵役義務を免れようとしたり、あるいは代人料をかき集めようとした。陸軍は、政府自身がヨーロッパの用語にならって「血税」と呼んだ徴兵枠をみたすのに苦労した。1873~74年には、怒った群集が各地で徴兵センターを襲撃し破壊するという暴動が16件も発生し、逮捕され処罰を受けた者は、10万人近くにのぼった。

    このような抵抗から明らかなように、それから数十年後に多くの兵士たちが示した徹底した規律と熱狂的な忠誠心は、けっして日本人固有の「国民性」を形成する、時代を超越した伝統的な構成要素などではなかったのである。(上 p136)

 代人料の270円というのは、今でいうと500〜800万円位でしょうか。

日本人の抵抗の歴史は、江戸時代の農民一揆にも見られる。明治時代から昭和時代にかけても数多くの抵抗の歴史がある。日本人は、決しておとなしい国民ではない。

 

    清国の出兵は、日本政府が狙っていた朝鮮進出のためのチャンスをあたえ、1894年ー95年の日清戦争勃発の引き金となった。(中略)1894年6月、かれらは「在留邦人の保護」を口実に、8000人の軍隊を朝鮮に出兵させ、日清が同等の立場に立って共同で朝鮮の内政改革にあたるべきだと主張した。(上 p248)

    私がここで注目したのは、「在留邦人の保護」を口実に使った、ということです。先般、自衛隊法の改正により「在留邦人の保護」のために海外に自衛隊が出動できることになりました。当面は、輸送が主な任務のようですが、この前例は、気になるところです。

 

    1912年、大正天皇(嘉仁(よしひと))は父親である明治天皇崩御にともなって、33歳で皇位についた。新天皇は、幼児期に髄膜炎を患ったことがあった。皇太子時代には何度も公務で国内旅行に出られるまでに健康を回復していたが、1918年から健康が衰えはじめた。翌19年には、公務の遂行もままらなくなった。(中略)しかも日本国内の政情は不安定だった。そうした内外の政治動向に不安を抱いた宮廷官僚たちは、皇室の代表として人前に出しても恥ずかしくない人物像がぜひとも必要だと痛感した。かれらは、1921年、皇太子裕仁(ひろひと)親王摂政の座につけて、嘉仁天皇をいわば強制的に引退させる、という措置を講じた。皇太子は、大正天皇が1926年に死去するまで天皇の国事を代行した。(上 p340) 

 昭和天皇が、大正天皇摂政をしていたことは知らなかった。昭和天皇は、1901年生まれであるから、摂政になったのは20歳頃か。なるほどですねえ。最近の、譲位、生前退位などの議論に摂政のことが触れられていないのは不思議だ。選択肢の一つとして話題になってもいいように思うのだが。

 

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日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで

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