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ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『君たちはどう生きるか』

家族から借りて『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 岩波文庫 1982年刊)を読んだ。以前から、読みたいと思っていた本だった。

1937年(昭和12年)に書かれたもののようだ。しかし、内容は全く色褪せていない。その中でも、いくつかある「おじさんのNote」というのが大変興味深い。その内の一つが特に興味深いので長くなったが以下に引用させていただいた。

 

 

 

コペルニクス的転回というのは、なかなか受け入れがたいものだったのだろう。それまでのように天が動くと信じる人が大部分だったことを歴史は証明している。周りのほとんどの人々が、天が動くと信じていれば、そして日常生活になんの不便もなければ、当然そうなるだろう。現代においてさえ、「進化論」を信じないで、「ノアの箱舟」を信じている人々がいる位だから。

 

しかし、コペルニクスは、天文学上の事実に出会って悩んだ末、地球が動いていることを表明した。まさに革命的だ。(古代インドにおいて、目覚めた人たち(ブッダ)が、当時の一般的な宗教であるバラモン教に対して、真逆の事を説いたことを思い起こさせる。)人間が、自分中心に見ることを横に置くことは、至難の技なのかもしれない。ただ一旦、別の視点を手に入れてしまうと、案外すんなりと受け入れてしまうものだが。

 

たとえ、コペルニクスが言っても言わなくても、自然の法則に変わりはないわけで、宇宙は何の変化も見せずに淡々と動いていく。人間だけが右往左往している。

 

時には、何かがきっかけで(それが大事件かそうでないかは様々だが・・・)、強制的にコペルニクス的転回をせざるを得なくなる場合があるかもしれない。(たとえば、日本の敗戦による価値観の大幅な変更など。)その場合の、人間の対応力の高さには、驚かされることが多い。

 

ものの見方について

 君は、コペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人は、みんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これは、一つは、キリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩突きいって考えると、人間というものが、いつでも、自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。

 

ところが、コペルニクスは、それではどうしても説明のつかない天文学上の事実に出会って、いろいろ頭をなやました末、思い切って、地球の方が太陽のまわりをまわっていると考えて見た。そう考えて見ると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。(中略)

 

しかし、君も知っているように、この説が唱えはじめられた当時は、どうして、どうして、たいへんな騒ぎだった。教会の威張っている頃だったから、教会で教えていることをひっくりかえす、この学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方する学者が牢屋に入れられたり、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。世間の人たちは、もちろん、そんな説をうっかり信じてひどい目にあうのは馬鹿らしいと考えていたし、そうでなくても、自分たちが安心して住んでいる大地が、広い宇宙を動きまわっているなどという考えは、薄気味悪くて信じる気にならなかった。今日のように、小学生さえ知つているほど、一般にこの学説が信奉されるまでには、何百年という年月がかかったんだ。

こういうことは、君も『人間はどれだけの事をして来たか』を読んで知っているにちがいない。が、とにかく、人間が自分を中心としてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまで根深く、頑固なものなのだ。

 

コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることなのだ。

 

子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子供の知識を観察して見たまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。(中略)

それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。(中略)

 

しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごく大体のことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜け切っているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方の出来る人は、非常に偉い人といっていい。たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ。

 

しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ。もちろん、日常僕たちは太陽がのぼるとか、沈むとかいっている。そして、日常のことには、それで一向さしつかえない。しかし、宇宙の大きな真理を知るためには、その考え方を捨てなければならない。それと同じようなことが、世の中のことについてもあるのだ。(p23〜27)

 

 

 

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

J-3444