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ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『治りませんように』

『治りませんように〜べてるの家のいま』(斉藤道雄   みすず書房  2010年)  を読み終えた。「べてるの家」関係は4冊目かな?読むたびに新たな発見がある。 

 

べてるの家の作業場や日赤病院のデイケア棟で、一週間に一回から二回のペースで開かれる当事者研究には、十人から二十人、多いときには三十人ほどの仲間がやってくる。研究とはいえ、それが基本的に精神障害を抱える当事者が自分自身を「語る場」であることは、ほかの多くのミーティングと変わらない。しかしまた研究であるがゆえに、当事者が語ることがすべてそのまま受けとめられるわけでもない。しばしば語ったことにはどのような意味があるのか、語りの背後にはなにがあるのか、あるいは語りが覆い隠しているもの、語られなかったことはなんであるかが参加者によって語られ、語りなおされる。そのための試みがあくことなくくり返される。たしかに浦河弁が多用され、語られることには省略や飛躍がまじって訪問者にはわかりにくい場面もあるが、難解なことばや理屈が宙を舞うわけではなく、日常のことばで、暮らしの会話として、研究は進められる。(P140)(太字は、私が。)

 動画がその様子を伝えてくれる。

 


べてるの家 当事者研究 2010 1/3

 

自分の弱さをさらけ出すというのはなかなか出来ないことだと思う。恥ずかしいし、こんなことで悩んでいるのか、とバカにされそうで・・・。でも、ほんの少しの勇気をもって言ってみると、それを受け止めてくれる人たちがいる。決してバカにすることなく、逆に「苦労したんだね」「よく頑張ったね」と言葉をかけてくれる。そういう人たちがいるだけで「ホッ」としてしまう。「難解なことばや理屈が宙を舞うわけではなく、日常の言葉で、暮らしの会話として」という文章を読んで、反省してしまう。ともすれば「難解なことばや理屈」に憧れる傾向性の強い私としては、胸に「グサッ」と刺されたような気がした。

 

 

治りませんように――べてるの家のいま

治りませんように――べてるの家のいま