ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『国家の品格』

国家の品格』(藤原正彦 新潮新書  2005年)。

たびたび他の本やブログで目にしたタイトルなので、どんなものかと思い図書館から借りてきた。一応読了したが、微妙な感じ。一部同意できるところもあるけど、どこかすれ違う部分もある。

この本を読む前に、『(日本人)』という本を読んでいたので、新渡戸稲造の『武士道』については、全面的に同意できない部分もあった。

 

とりあえず、同意できる部分について書いてみます。

 

本書の目次には、こう書かれていました。

第三章  自由、平等、民主主義を疑う 

自由と平等の概念は欧米が作り上げた「フィクション」である。民主主義の前提条件、「成熟した国民」は永遠に存在しない。欧米社会の前提を根底から問う。

そして、第三章の小見出しは次のようなものです。 

欧米人の「論理の出発点」 

「自由」という概念

欧米が作り上げた「フィクション」

大思想家ロックの無責任発言

カルヴァン主義と資本主義

ジェファーソンの偽善

民主主義は素晴らしいのか

国民が戦争を望む

民主国家がヒットラーを生んだ

日本も民主国家だった

マスコミが第一権力に

国策捜査

国民は永遠に成熟しない

「真のエリート」が必要

官僚は真のエリートにあらず

エリートを養成している欧米

「平等」もフィクション

「平等」ではなく「惻隠」を

論理だけではもたない

自由と平等は両立しない

少し引用が長くなってしまいました。この第三章については、同意できる部分が多いです。

 

本書の著者は、エーリッヒ・フロムの言葉を引用しています。

エーリッヒ・フロムは、『自由からの逃走』で、自由と民主主義の中からヒットラーが台頭した理由を心理学的にこう分析しています。「自由とは面倒なものである。始終あれこれ自分で考え、多くの選択肢の中から一つを選ぶという作業をしなければならないからである。これが嵩ずると次第に誰かに物事を決めてもらいたくなる。これが独裁者につながる。」(p78)

 自分で考える、というのは難しい。他の人が、異なる視点から見事な考えを述べているのを見ると、「こりゃ、(わたしは)ダメだ(^_^;)」と思ってしまう。そういうことが度重なると、もう自分で考えることを放棄したくなる。ある程度、自分で訓練しないと、「自分で考え、多くの選択肢の中から一つを選ぶ」という作業は困難と思う。原因を考えると、学校教育にも一因があるのかな?とも思ってしまう。

 

ついつい自分で考えることをせず、テレビやネットの意見に、飛びついてしまう。気をつけねば。

 

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

 

 

 

 

(日本人)

(日本人)

 

 

 

Facebook「花の写真館」より。

 

f:id:gsg48566:20170719143614j:plain