ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

二種類の仏教

ある仏教学者の書いた随筆を読んでいて、「仏教の教えは人格完成のための教育学であり人間学であるということができる」という文章を見かけた。その前後の文章を下記に引用してみます。

 

釈尊は低い立場から次第に高い立場へと人々を誘導することに注意された。自然の状態では、人々は信仰以前の幼稚な立場にあるから、これに初歩の信仰をもたせ、次第にその信仰を高めて第一義の立場に入らしめるのが仏教の目的である。このことは法華経の長者窮子の譬喩の中にも示されている。この点で仏教の教えは人格完成のための教育学であり人間学であるということができる釈尊が常に用いられた教化誘導の方法は次第説法として伝えられている。これは仏教をまったく知らない人を次第に仏教信仰に導き、悟りに至らしめる方法である。(p13)(『北海道駒沢大学研究紀要11』「仏教研究雑感」水野弘元 (CiNii 水野弘元 で検索可能。PDF ダウンロード必要))(太字は、管理者による。)

CiNii Articles 検索 -  仏教研究雑感  水野弘元

 仏教の長い歴史を眺めると、たしかにそうかもね、と思うのだが、今の日本でもそうなのかと問われれば、選択肢の一つではあろうけれども、その重要性は低下しているのではないかと言わざるを得ない。

 

今の日本に伝わるブッダの対話を読んでいると、たしかに教育学であり人間学であったと思える。

(子供を亡くした母親に対するブッダの教えが参考になる。詳しくは、下記の記事へ。↓

 Episode15:子を亡くした母へブッダの教え——仏弟子キサーゴータミー | マハーヨーギー・ミッション 東京

対話により「気づき」を促す様子が分かりやすい。)

日本でもたぶん江戸時代までは、仏教というのは「教育」の相当な部分を担っていたと思われる。

 

 

今はどうであろうか?様々な情報が行き交い、学校を中心とする「教育」のシステムは確立し、そこに仏教の入る余地は少ないように思われる。戦後の宗教運動によって生まれ又は成長した仏教系宗教団体のいくつかをみても、少しは人格完成のための仏教を掲げているように見えるが、実際のところはどうであろうか。

 

 

『仏教思想のゼロポイント』(魚川祐司 新潮社 2015年)の中に、「瞑想しても人格はよくなりませんよ」というある日本人修行者の言葉が紹介されていた。そのあとの著者の記述が興味深いので引用させていただく。↓

もとより「瞑想」と一口に言っても、その種類は様々である。(中略) だが、ゴータマ・ブッダの仏教の目標である解脱・涅槃を得るための瞑想法-----例えばテーラワーダで言えばウイパッサナー-----は、それを修することの直接的な結果として、世俗的な意味で役に立ったり、人格がよくなったりすることはないし、またそうなることを、原理的には期待できないものである。

第1章でふれたとおり、ゴータマ・ブッダの仏教は、私たち現代日本人が通常の意識において考えるような「人間として正しく生きる道」を説くものではなく、むしろ社会の維持に欠かせない労働と生殖を否定し、そもそもの前提となる「人間」とか「正しい」といった物語を破壊してしまう作用をもつ。(中略)

「人格」について言っても同じことで、どのような人格が「よい」とされ、どのような人格が「悪い」とされるかは、その場の文脈、言い換えれば、そこにいる人々が共有している物語によって変わってくる。(中略) 要するに「善と悪」という区分は基本的には物語の世界に属するものであり、そして解脱とは愛執のつくりだすそうした全ての物語から解放されることであるのだから、その境地には通常の意識で私たちが想定するような「善」も「悪」も存在し得ないということだ。(p65〜66)

 

 上記のゴータマ・ブッダに関する部分は、現代日本の「仏教」のイメージからすれば大いに異なっている。たぶん、日本の仏教者からは「これらは、南伝仏教のことを意味しており、現代日本に通用している仏教(北伝仏教、大乗仏教)とは、次元が違う」と言われそうである。

 

初期仏教・南伝仏教大乗仏教とでは、同じ「仏教」なのに何でこのように異なるのか?

 

私は、どうしても北伝仏教(大乗仏教)の考えに長く馴染んできたので、仏教の理想としては、円満な人格者、非の打ち所のない善人等ということをイメージしてしまう。

しかし、魚川氏が述べているように、人格の良し悪し、何が善で何が悪か、ということは時代や地域によって異なり、究極的には「物語の世界」に属するものとも言える。

 

個人的に思うには、どちらもそれぞれの存在理由があって、どちらかのみを選択することはできないので、両方のイメージを抱えながら、仏教というものに思いを巡らせて行きたいと思っている。

 

 

 

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

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大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか

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