ガラガラポン日記

複雑になってしまった問題を、一度ゼロにして、考え直してみる。

読書メモ『山行記』

いつも拝見しているブログで、南木佳士(なぎ けいし)さんという名前を知った。どんな人なんだろうと思い、図書館から、その人の書いた『山行記』(山と渓谷社 2011年)という本を借りてきた。

単なる山登りの随筆か?と思って読んでみたら、ちょっと予想外だった。この本の帯には、

芥川賞受賞の翌年に心身を病み、

山歩きで新境地を得た作家兼医師が、

とことん「わたし」にこだわった風変わりな山の紀行文集。 

 山登りのきっかけを作ってくれたのは、奥さんのようです。

38歳の9月、芥川賞受賞の翌年からとりつかれたパニック障害とそれに続くうつ病が10年以上経っても完治しないまま、休日には家でごろごろしているだけの、作家と医師を兼ねるという重ねて業の深い生活にどっぷりつかかってしまっている 夫を、紅葉が始まっているかもしれないからと、妻が赤子をあやすように気を遣って車に乗せ、標高2093メートルの大河原峠につれ出した。(p064)

 山登りのおかげで、南木さんは元気を取り戻していくのだが、逆に奥さんの方が下降気味になったり、いろいろありますが・・・。

 

話を聞いてもらえる人がいるというのは、本当に助かります。精神的に弱っている時、話をする、話を聞いてもらえるというのは、(聞く方は大変でしょうが・・・)悩みを共有できるというか、自分で抱え込み深みにはまるのを防いでくれる感じがします。

 

山という大自然に接する、運動するというのは身体的にも精神的にも良いのかもしれません。人それぞれかと思いますが、南木さんの場合は「山登り」が大変ピッタリきたのでしょう。そういうものを見つけることができた人は幸せですね。

 

( おや、文庫本もあったのか。)

山行記 (文春文庫)

山行記 (文春文庫)

 

 

読書メモ『墓は心の中に』

安田睦彦さんが書いた『墓は心の中に〜日本初の「自然葬」と市民運動』(凱風社  2010年)を読んだ。

 

「自然葬」という言葉は、何となく聞いたことがある程度だった。本書では、単に葬法(葬送)のあり方というだけでなく、それに関連して、日本人の心の底にあるものを、分かりやすく提示してくれている。

英文学者で平和運動家でもあった中野好夫さんは、遺灰を山河にまきたいと希望していました。しかし、側近の弁護士から現行法では無理と言われてあきらめ、両親の眠る丹波篠山の墓にはいったのです。最近、当の弁護士さんから 「貴会(管理者注:「葬送の自由をすすめる会」のこと。1991年設立。)のような見識がなかったばかりに、中野先生の希望をかなえられなかったのはまことに残念」というお手紙をいただいたのですが・・・。

日本では、死んだら墓に入るものと思い込まれています。山や海にまくのは違法という考えが根強い。中野さんの例のように、弁護士でもそうだから、一般の人がそう思うのも不思議ではありません。

だが、庶民が墓をつくるようになったのは、江戸中期に幕府によって檀家制度がしかれてからのことです。それを明治政府は「家の墓」として一般化することで、民衆の死までも国家管理のもとにおきました。

 

古代から江戸時代まで、長い間庶民は遺体を海や山に捨ててきました。一部上流階級では、遺灰を海、山にまく風習もありました。だから、自然に帰りたいという人が多いのも、本来の葬法に戻りたいということで、当然でもあるのです。

 

自然の摂理に従う葬法は、古代からの伝統的な宗教感情にもかなっています。また、地球環境の危機にも見合う葬法で、これを私は〈自然葬〉と呼びたいと考えています。(p136)

 

 「お墓参り」というのは、昔からあるものだと思っていたのだが、そもそも庶民の墓自体が出来たのが江戸時代中期頃から、という事で、そのお墓に参るというのはそれ以降ということになるわけですね。(偉い人のお墓に参る、ということはあったかもしれないが。)

 

『「日本の伝統」の正体』という本を読むと、「日本古来の・・・」「伝統的な・・・」という言葉で形容される事柄が、実はそうでもない、ということに気づかされます。

 

人は、死んだら「自然」に戻りたいというのは、古代からの宗教感情として理解しやすいのだろう。私も死んだら遺灰は、海か山にまいてほしいと思う。この本の題名のとおり、「墓は」残された人たちの「心の中に」というのがいいなあ。

 

※ 参考までに、〈自然葬〉を提唱した「NPO法人・葬送の自由をすすめる会」(初代会長 安田睦彦)は、↓

www.shizensou-japan.org

 

 

墓は心の中に―日本初の「自然葬」と市民運動

墓は心の中に―日本初の「自然葬」と市民運動

 

 

 

「日本の伝統」の正体

「日本の伝統」の正体

 

 

読書メモ『寿命論』

『寿命論〜細胞から「生命」を考える』(高木  由臣( たかぎ  よしおみ)  NHKブックス  2009年)を読了。

 

 そもそも生命の歴史においては、無性生殖で無限に分裂しつづけるバクテリアなど原核生物だけの世界が、約38億年の生物進化史の半分近くを占めている。つまり生物は寿命をもたないのが本来の姿であった。つぶされたり餓死したり焼け死んだりといった環境の制約が無い限り、生物は永遠に生きつづけるものだった。約20億年前に真核生物が登場して、初めて無性生殖にブレーキをかける「寿命」という現象が出現した。(p7〜8)

バクテリア(真性細菌)などは、寿命を持たない、ということに驚いた。ちなみに、バクテリアの「Bacteria」 は、ラテン語のようです。初めて身近なところにラテン語を見つけた。

そもそも原核細胞(バクテリア)の時代には分裂限界(細胞寿命)と呼ばれるような寿命は無かった。条件さえよければ資源を消費し尽くすまで分裂をつづける暴走族で、餌の不在と劣悪な環境だけが分裂を止めることができる。(p231)

 もしも、人間がバクテリアだったら・・・。同じ人間があっという間に増え続ける、ということを想像しただけでも気味悪い。

 

このバクテリア(真性細菌)の大きさは、マイクロメートル(micrometre,記号µm)で表され、約1〜10µmらしい。1マイクロメートルは、0.001㎜なのでいかに小さいかがわかる。但し、「個体数は5×1030  」と非常に多い。私たちの身近なところでは、酵母菌、腸内細菌というのもバクテリア(真性細菌)の仲間であるという。(Wikipediaより。)

 

さて、問題は「寿命」ですねえ。

    真核生物の中にも寿命をもつ生物ともたない生物がいて、寿命をもつ生物の中に寿命の長い生物や短い生物がいる。ではなぜ、寿命をもたない生物から寿命をもつ生物への進化が起こったのか。一般には、「寿命という有性生殖という多様化戦略の産物である」と説明されている。同じことであるが、「不死性の喪失(寿命の出現)と有性生殖の獲得とのトレードオフ(交換)」とも言われている。寿命をもつということは、無性生殖をやめること、すなわち不死性を捨てることなので、「有性生殖を取り入れたことと引き換えに不死であることをやめ寿命をもつようになった」という意味である。(p8)

一般にはこのように言われているようだが、必ずしも確定しているものではないらしい。本書の著者も、全面的に賛成しているわけではない。

 

本書を何回か読み直してみたが、正直よく分からない。様々な要因が働いているようである。そのなかで「抑制」という言葉が気になった。

長年考えつづけてきた「寿命とは何か」という問いに対して、多くの未解決の問題を残しながらも自分で「分かった」と思えることがあった。それは「寿命とは抑制系の進化なのだ」ということである。生物進化というのは、発展、多様化、高度化といった用語で表現できるような、何か目新しいものを次々に獲得してきたというイメージで見られがちである。だが、「抑制系の進化、つまり抑制をかけることによって新しい秩序、新しい可能性が開けてきた」という側面を無視し得ない。寿命という現象はまさにそういう進化事例なのだ。(p231)

 抑制の効かない暴走系の「ガン細胞」、健康寿命を左右するとも言われる「腸内細菌」等々、「寿命とは何か」という本書の主題とは違うところに興味が行ってしまう。

 

 

寿命論 細胞から「生命」を考える (NHKブックス)

寿命論 細胞から「生命」を考える (NHKブックス)

 

 

 

www.cancer-recovery.info

 

 

toyokeizai.net

 

 

 

『阿弥陀聖 空也』と著者「石井義長」さん

図書館から、『阿弥陀聖  空也』(石井義長 講談社選書メチェ 2003年)という本を借りてきた。最初は、「空也」というタイトルに惹かれて手に取ったのだが、家に持ち帰って、著者の経歴を見てそちらにも興味が湧いた。

 

著者は、石井義長(いしい よしなが)さんという人で、本書の紹介文をそのまま引用すると↓

1939年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、NHK入社。

経営企画室主管などを経て退職後、東洋大学大学院博士課程終了。文学博士。専攻は中世仏教学。

東洋大学文学部非常勤講師を経て、現在、仏教文化研究所研究員。 

 驚きました。1989年定年退職後、東方学院や大学院で勉強された方でした。私も同じような年齢で退職しましたが、その当時の夢は、大学に入り直して勉強することでした。(実際は、無理でしたが・・・。) それだけに、石井義長さんの退職後の経歴を見て、ただただ凄いなー、と思った次第です。

 

その石井義長さんが、博士論文でも取り上げられたのが「空也(くうや)(  903ー972)」です。資料が乏しいなか地道な研究を続けられたのではないかと推測します。

 

空也について著者の力の及ぶかぎり徹底して調べ研究した結論を一言でいえば、彼は法然等の鎌倉浄土教より二百余年早く易行の称名念仏を選択し、空と慈悲という仏教の根本思想に立って、庶民の魂の救済に身を抛(なげう)った天才的な真の宗教家であったということである。(p16)

 

称名念仏、専修念仏と言えば、「法然」というイメージだったが、この本を読んで変わった。「空也」から、称名念仏、専修念仏が始まったのだ。惜しいことにそのあとを次ぐ僧侶がいなかったことと、空也自身が体系だった文書を残さなかったため、表面上の流れが途絶えたことである。そこが法然との違いかもしれない。

しかし、空也亡きあと、称名念仏、専修念仏の流れは地下水脈のように広がり、200年後の法然へと続いていったように思われる。

空也は峯合寺での数年間の一切経披閲の後、次には四国阿波国の絶海の孤島湯島の十一面観音町に数ヶ月 参籠し、さらに辺地の陸奥・出羽を数年間巡錫(じゅんしゃく)して平安京に還り、市中で「尋常の時、南無阿弥陀仏と称えて、間髪を容れず」であったという。また因獄でもある市門に石塔を建てて、「一たびも南無阿弥陀仏という人の  蓮のうえにのぼらぬはなし」という歌を掲げ、罪人にまで念仏往生の福音を説いた。彼の衆生化度の結果は、慶滋保胤が書いているように、小人愚女までも「世を挙げて念仏を事とせり」という事であった。法然よりはるか230年前に生まれた空也が、峯合寺の一切経蔵でこのような究極的な易行浄土の称名念仏の思想を学び、その後の湯島・東北での実践でこれを実証し体得していたと解するほかないが、それはわが国の浄土教の歴史において誠に驚くべき革新的なことといわなければならない。しかし、飛鳥時代から善導がわが国の浄土教に影響を与えていたという以上、その教えを受けていつか善導流の称名念仏が顕在化する可能性は、空也の時代まで潜在的に持続していたと考えられないだろうか。(p66)

 

 平成28年度「宗教年鑑」を見ると、日本最大の信者数を持つ仏教宗派は、浄土系である。

 

中世の人々は、「極楽浄土」というものが本当にあると思っていたのだろうが、現代の人々はどうなのだろう?  超高齢者社会において、「死」というものをどのように考えていったらいいのだろう?

 Twitterを見ていると、いろいろ参考になる記事が二つほど見つかった。↓

business.nikkeibp.co.jp

 

diamond.jp

 

  

阿弥陀聖 空也 (講談社選書メチエ)

阿弥陀聖 空也 (講談社選書メチエ)

 

 

『図説 歴史の研究』と「7年2ヶ月」

 私の手元に『図説  歴史の研究』という3冊本がある。学生の頃、アルバイトしたお金で購入したものだ。写真も多くて見やすいのだが、個人的には、文章が読みづらかった。読んでも全然頭に入ってこなかった。私の頭が悪かったのかな。

数年前、たまたまネットを検索しているとき、この『図説歴史の研究』を、個人でこつこつと翻訳しているホームページに遭遇した。

 

 「鈴木弥栄男のホームページ」です。

http://yaeo.sakura.ne.jp/

 

ホームページの画面上の方に「「トインビーによる歴史の研究」「図説・歴史の研究」対訳中」 とあり、クリックするとダウンロードされ、pdfで文章を読むことができます。

 

翻訳文を読んでみて、その分かりやすさに驚いた。それ以来、時々翻訳の進み具合を拝見させていただいている。先日、久しぶりにホームページを訪問したら、無事翻訳が終了していた。何と7年2ヶ月かかったそうです。本当にお疲れさまでした。おかげで全文がネットで読める。これほど嬉しいことはない。感謝感謝。

 

図説歴史の研究 1

図説歴史の研究 1

 

 

 

図説歴史の研究 2

図説歴史の研究 2

 

 

 

図説歴史の研究 3

図説歴史の研究 3

 

 

読書メモ『従属国家論〜日米戦後史の欺瞞』

前回に続いて、佐伯啓思氏の本を借りてきた。タイトルは『従属国家論〜日米戦後史の欺瞞』(PHP新書 2015年)。

 

最近の沖縄駐留アメリカ軍による度重なる事故に対して、日本政府はただ抗議するだけで、アメリカ及びアメリカ軍に対して強い態度をとれない。アメリカ軍も少し日が経てば何事もなかったかのように振る舞っている。そんな情況に強い不満を持っていたのだが、この本を読んで、なるほどですねえ、と思ってしまった。沖縄だけでなく、日本全体がアメリカの手のひらにあるわけだ。これでは、とても独立した国家とはいえないね。まさしくアメリカの従属国家というわけだ。残念ながら・・・。

 

戦後レジーム」という言葉をみたり聞いたりすることがある。何となく漠然としたイメージだったが、この本を読んで少しは形が見えてきたような気がする。

ここでいう「戦後日本のレジーム」とは、改めていっておけば、まずはこうです。

個人の自由や民主主義、人間の権利、そして平和主義のもとで経済発展を国の至上の価値として掲げた、ということです。それが戦後の「公式的な」レジームです。もっと端的に「平和と民主と経済成長」といっておきましょう。

しかし、そこに実はもうひとつ、決して無視できない重要なファクターがありました。それは「平和憲法と日米同盟」です。この補完的な一対がもうひとつの「戦後日本のレジーム」にほかなりません。

そして、今やこの「レジーム」がうまく機能しなくなっている。それが先にあげたふたつのディレンマでした。「平和主義と日米同盟」という国の安全にかかわる基本構造が崩れてしまった。そしてまた、「公式的な普遍的価値」と「非公式の日本的な価値」の間のディレンマが、どうもこのままでやり過ごすことができなくなってしまった。(p72〜73)

 

「保守」・「革新」ということについて。

だから、いかにも「革新」と「保守」が対立しているように見えても、それは見せかけにすぎず、この両者がもたれかかりながら、「戦後レジーム」を作り出したというわけです。「保守」は、たえず「革新」を急進的な体制転換をもくろんでいる、と批判し、「革新」の側は「保守」は憲法改正をもくろみ、戦前への道を逆戻りするナショナリストと批判したりするのですが、いずれにせよ、こんな批判は両方ともまったくあたりません。

社会主義であれ、戦前への回帰であれ、「戦後レジーム」を否定する気など、「革新」にも「保守」にもなかったのです。

両者ともに、アメリカを背後に置いたあの非対称的な二重構造によりかかっていたのです。本当の体制は、まさにこの「構造」そのものにこそあった。(p196〜197)

昭和の人間である私から見ると、驚きの発想でした。

 

その他に「ポツダム宣言」、「終戦詔勅」、「未来のための変革と再編(2005年)」について言及されていましたので、資料として以下のリンクを貼っておきます。

 

ポツダム宣言 全訳

玉音放送を現代語訳で「耐えられないことにも耐え」【終戦記念日】

外務省: 日米同盟:未来のための変革と再編(仮訳)

 

では、今後どうして行けば良いのでしょうか?

氏は、名案はない、としながらも

今、われわれにできることは、何よりもまず、われわれを就縛している「戦後レジーム」の構造を知ることなのです。そのことを知っておくことはきわめて大事なことなのです。「知ること」はそれ自体が「力」なのですから。(p225)

と書いている。

 世の中の動きをみるとき、この本に書かれていることを踏まえて見ていくと、また別の思いが浮かんでくる。

 

従属国家論 (PHP新書)

従属国家論 (PHP新書)

 

 

読書メモ『経済成長主義への訣別』

『経済成長主義への訣別』(佐伯啓思(さえき けいし) 新潮選書 2017年)という本を図書館から借りてきた。

 

本書では、「経済成長・成長主義」=「幸福」という人々の思い込みに「?」を投げかけている。

私が問いたいのは、経済成長、グローバル競争、技術革新などを推し進めることによって、人間はいっそう幸せになれる、という思い込みだ。もっと自由に、もっと便利に、もっと大きく、といった「成長主義」を問うことである。これはいかにも「近代社会」の先入観といってもよいが、近代を200年近くにもわたってやっておれば、この先入観も疑う余地のない当然のものとなってくる。しかし、それがいかに、われわれの「ふつう」を壊してゆくのか、そのことを本書で描きたかったのである。(p5)

 たしかに、ニュースで「成長」という言葉が出ると「安心」してしまう。

(念のため。「経済成長」そのものをやめる、というのではなく、「経済成長」を至上の価値とすることをやめるという意味で、「脱成長主義」である、と本書で述べられている。(p19))

 

ひとりの人間が、本人はそうと気付かずにある先入観にとらわれている、ということはいくらでもある。少し距離をとってみればその先入観はよくみえる。同じことは、集団についてもいえて、今日、「われわれ」はひとつの無意識の先入観にとらわれており、そのことをしかと意識できなくなっている。(p48)

 

このような「思い込み」、「先入観」というのは、実にやっかいな代物である。「経済成長」、「成長主義」ということばの持つ強力なイメージは、世の中を大きく支配しているように思われる。私自身も知らず知らずのうちに、「経済成長」という言葉をうのみにしていた。本書を読んで改めて気づかされた。

 

ではどうすれば、この自己暗示から覚醒できるのだろうか。ひとつの先入観=世界観からどのようにして脱出できるのか。答えは決して難しくはない。ただそれを本当に実行するには多大な困難を伴うであろうが。

 

要は価値観を転換することなのである。(p49)

と書いてあるけれども、価値観を転換することは、簡単な場合もあれば、実に難しく多大な困難を伴う場合もある。特に思想信条の類いなどは。「 価値観の転換」ということは、前提としていくつかの価値観があると知ることが必要であろう。(下の参考記事がいいね。)  他の価値観を最初から拒否・否定せずに、どんなものか見たり聞いたりすることが大事だと思う。その上で、自分自身の頭でいろいろと思いを巡らせてみることができれば、選択肢が増え、「価値観の転換」の可能性も高まるのではないだろうか。

 

 

参考記事:

www.huffingtonpost.jp

 

 

経済成長主義への訣別 (新潮選書)

経済成長主義への訣別 (新潮選書)